院長コラム
Column
因果
2020年03月10日
なぜこのような結果が起こったのか?という原因を見つけ出すことは難しいものです。いろいろ深く考えだすとますますわからなくなってくる時もあります。
原因と結果との関係を因果関係といいますが、それをきっちりと証明することはしばしば困難です。
因果関係が明確な文章や話は理解しやすいようにも感じます。魅力的な文章を書いたり、話が上手な人は考えられる因果関係をうまく整理して、シンプルで流れるような話をするのでしょう。
やっぱりそれが原因か?、まてよやっぱりそれとちゃうか?というミルクボーイの振り子漫才のようになっては確かに話が前にすすみませんし、あれもこれもあるでは確かにまとまりもなくなりますね。
因果関係をの追及することとしては、まず裁判が思いつきます。起こった事件(結果)の原因がだれの責任であるのかを証明し、その責任の重大度が判決としてだされます。
こと医療の裁判では、80%程度因果関係があるのであれば責任ありという判断なのだそうです。
しかし、最近ではたとえ刑事事件でも結果が重大であればそれほどの因果関係が証明できなくとも有罪という判例もでているようです。結果がわるければ世間の常識にあわせてそれなりの責任をとりなさいということなのかもしれません。
一方、医学や生物科学の分野では、因果関係の解釈にはかなり慎重です。人が想像できない位多くの因子が互いに影響を与え合っているからです。
病気をおこしたときにも原因があるはずです。たとえば日常でもよく診察する高血圧について考えてみます。
血圧には、わかっているだけでも運動不足、肥満、塩分過多、ストレス、体質など様々な因子が影響を与えるとされています。高血圧の人で肥満の人がいた場合、あなたは太っているのが原因で血圧が高いのだという指導をしたくなります。
しかしよく考えてみると、指導後に痩せても血圧が高いままの人はそれなりの割合でいますし、家族も血圧が高いのであれば、血圧がたかくなりやすい体質がもとよりあるのかもしれません。
おそらく肥満は血圧になんらかの関係があるのでしょうが、目の前に肥満が見えているからそれだけが原因に浮き上がってみえているだけなのかもしれません。
また、高血圧の人で脳梗塞をおこした人とそうでない人がいたとします。患者さんの希望である薬の治療をうけた人のグループでは脳梗塞の頻度が少ない場合、この薬が脳梗塞を低下させたのだと言いたくなってきます。
しかしながらもう少し考えると治療に同意いただいた人々ではもとより治療に前向きで生活態度がいいのかもしれませんし、薬の有効性を信じるプラセボ効果もあるかもしれません。
厳密にいうと、この薬を服用したグループでは服用しなかったグループより脳梗塞の発生率が有意に低かったということが言えるだけです。それ以外の推測はそれに付随する仮説です。
医学の学会や論文の考察では、一見魅力的にみえる過大な推測についてはかならずチェックをうけ、因果関係への解釈には気をつけなさいという指導をうけることになります。
少しわかりにくいので、読むのがいやになる人もでてきそうです。できるだけ正確に述べようとするとあれもこれものわかりにくい文章になってしまいますね。
因果関係を考える議論は昔からある永遠のテーマであり、深く考えると鶏が先か卵が先かということにもつながりそうです。
因果とはもともとは仏教から由来した言葉なのだそうです。
仏教の考えでは、一切が自らの原因によって生じた結果や報いであり、その考え方を因果応報と呼びます。
目の前に起こったことはすべて自分が作りだしたものなので、善行をつみ悟りを開きましょうということです。
そして、循環していく時間において歴史は繰り返されてその始まりはないという教えです。
おそらくこの世で起きることのすべては我々人類が理解することができないほど複雑なことが絡みあっておきています。
病気も含め世の中でおきていることは原因でもあり結果でもあり、あえて区別して深く考える必要がないということのような気もしてきます。