院長コラム
Column
命の値段
2025年06月30日
私達の子供の時、一人の命は地球よりも重いと学校で教えられました。
当時の私には、「地球には人間が数十億人いるし、それ以外にも大切なものがいろいろあるのになぜなのだろう?」と少々疑問でした。
今から思うと人の命を粗末にした敗戦の経験もあり、それだけ命は大切なのだというメッセージだったのでしょう。
多くの日本人は多かれ少なかれこのような価値観を共有し、人の命を論じることは今までタブーだったともいえそうです。
近年でも命を少しでも粗末にするようなコメントを述べたインフルエンサーの方が、すぐさまその立場から引きずり降ろされるということも何度かったように思います。
もちろん医師としての使命も目の前の一人の命を精一杯で救うことです。
しかし、たとえば緊急の災害時に多数の負傷者がでているような時では、優先順位をつけてできるだけ多数の命をすくうという判断になります。限られた資源でより多数の人を救うためには救えない命もでてしまうということは仕方がないことです。
現実的な意味では、10人の命の方が1人の命より重く、地球は1人の命より重いと言わざるえません。
また、日本は分け隔てなく、低い負担で手厚い医療を提供しているということでは国際的にも有名な国です。今までは特に高齢者や恵まれない方を敬い、手厚く扱うということに何の疑問がなかったのでしょう。
以前(20年くらい前?)海外の学会に出席した時、その懇親会で日本の医療制度の話をしたところ、隣の欧州の医師から「日本は本当にお金持ちの国なのですね。」とコメントされたことを思いだします。
高額な医療を無限に公的補助するということは多くの資本主義の国では経済的に困難であり、ある基準を超える医療は個人責任という制度をもつ国も多いのです。
たとえ心臓病やガンなどの急を要する病気の方でも、公的補助下では病院を受診するまで数か月の待期となり、その間に亡くなる人も多いとのこと。そして高齢者への医療補助を削減するという話もよくでるとのこと。
今の日本人については受け入れがたいことなのかもしれませんが、そのために医療費が増大しないというパラドックスもあるのです。あまりよい話ではないですが。
これからの高齢時代、社会保障費・医療費の増大には社会が耐えられないという判断から、日本においても医療費の削減が叫ばれています。
前々回のコラムでも書きましたが、これからは、病院とクリニックの倒産が増えてきそうな気配です。今のままではこれまでと同じようにはやっていけない時代です。
しかし次の選挙でも各党そろって社会保障や医療費の抑制を訴えています。
私の立場からは、身の回りの方々が急に露頭に迷うことになっては困るので、この状況は受け入れがたいのですが、、、多くの国民がそれを望んでいるということでしたらしかたがないのでしょう。
いつまでもいきいきと元気でいたいというのでは万人の望むところですが、ただ長生きして延命することは幸せでないのかもしれません。
あらためて命の重さとその値段を考える時期にあるのでしょう。
そして目の前の損得だけでなく、20年、30年後の将来を見据えることが必要なのだと思います。