院長コラム
Column

涙枯れるまで

2022年04月04日

テレビや動画配信チャネルにより医療ドラマは定期的に放映されています。

最近ではそれなりの割合を占めていますので、人気のジャンルなのでしょう。

生命をあつかうストーリーには感動もうまれますし、多くの人の心を捉えるものがあります。そして多くの人は涙を流すのだと思います。

おそらく人の病気や死に対して純粋に涙をながし、いつも同じ目線で悩み苦しむことができるのが魅力的なよい医師だというメッセージもありそうです。一方それに共感できないのは悪い医師という設定なのでしょうか。

自分の職業とも関係しますので時間があれば視聴することもありますが、どうしても長続きせずに途中でみるのをやめてしまう時もあります。

多くの人が涙をながすであろう感動場面でも冷静な自分にきづく時もあります。

特に医師が感情に振り回されて悩みつづけ、仕事が手につかない場面などではそうなのかもしれません。

その他の担当患者さんは大丈夫なのか?周りのスタッフに迷惑がかかっていないのか?チーム医療に支障がでていないか?などなど、密かなツッコミも入ります。

もちろん医師として患者さんによりそう気持ちは大切です。しかし、いつまでも悲しさをひきずり、仕事に支障をきたしながらも悩みつづける姿にはどうしても未熟さも感じてしまいます。

そして、人の命を救うのは医師の使命ですが、人は無限に生き続けることはできません。

こと生死に関しては、それを受け入れている冷静な自分がいることにも気づきます。自分の死についても同じなのかもしれません。

冷血人間になったのではと気になる時もありますが、歳をとるに涙もろくなっているところもあり、かならずしもそうでもなさそうです。涙のツボというのは千差万別なのでしょうか。

私自身、循環器の救急病院で命と裏合わせの重症心不全、重症不整脈、急性心筋梗塞などの治療にあたってきた経緯もあるので、医師の中でも多くの人の死に立ち会ってきたほうなのだと思います。

若い時代は、いつまでも人の死を引きずりくよくよしている時もあったのだと思います。

しかし、そのままでは他の担当患者さんのケアが不十分になりますし、普段の仕事もうまくまわりません。

経験を積めば積むほどにその裏に隠された必要なことも見えてきます。そして、きっちりと仕事をこなそうとすればするほど感情に振り回されている場合ではないということにも気づきます。

いくつかの悲しく苦しい経験を繰り返すことにより、そのことに対しては徐々に涙が枯れてくるというのもあるのかもしれません。

過剰な感情を交えずに医療をつづける粛々とこなしていく姿にはもちろん人の気持ちを理解しない非情な人に映るという評価もあるのでしょう。

しかし、それをぐっとこらえて必要なことを坦々とこなしていくのが本当のプロフェッショナルなのだとも感じてしまいます。

涙や感動を与える仕事にかかわるスタッフも毎日泣いてすごしているわけではなく、それに必要なことを粛々とこなしているのでしょう。

今でも時折思い出してしまう昔よんだ漫画の北斗の拳の印象的なシーンがあります。

元斗皇拳のファルコは命をおとしゆく村人を後目に涙をみせません。一見冷血に見える振舞に対して、その事情を知らない人はなんと非情な男かと批判します。

しかし、ファルコを理解する人々は「我らのために涙を使い果たし、その涙は枯れてしまっただけなのです。」とその哀しみを語ります。

我々を守るために自ら切り落とした右足の義足が軋む音を「そのかわり彼の右足が泣いているのです。」と比喩しました。

もちろん私は人の生死や感動を語れるほど立派な人間ではありません。

たとえその姿が魅力的には映らなくとも、必要なことを粛々とこなし、たまには自らで労う。そういう自分でいいような気もしています。

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