院長コラム
Column
言葉で伝える
2023年09月12日
日本人はその場で思ったことを口に出さず、我慢をするという特徴はあるのだと思います。
言論を統制してきた時代もあったからでしょうか?それとも農耕民族だったからでしょうか?
傷つくのはいやだから、もとから考えないようにしよう、自分の意見を明確にしないようにしようという反応も隠れているのかもしれません。
確かに気の知れた小さなコミュニティーの中では、「あうんの呼吸」があります。そのためその場の空気をよめという言葉も会話でよく聞きます。
しかし、海外の人からみると少しおかしいのではといわれそうです。
きっちりと自己主張しない人は、軽視されるというのが多民族の文化です。多様な人が集まる社会では、きっちりと言葉で伝えないとうまくコミュニケーションがとれません。
察してほしいと黙っていても周りにはそのような余裕はありません。「あうんの呼吸」はSAMURAI JAPANでは大切でも、初対面の人ではうまく機能しないということなのでしょう。
また、我慢するからその後の不満がどんどんたまってくるということもありそうです。
忙しい時間に食事を食べにいった時、注文を忘れられてしばらく待たされてしまうということはだれでも経験したことがあると思います。
いつか気づいてくれるだろうと、ずっと待っていても放置されればますます不満がたまります。
もちろん店側の手落ちなのでしょう。
しかし、長い時間待ったあげくにどんどん不満をためるのであれば、気づいたその場で「注文からずっと待っていますよ。」と店員さんにいうだけでいいはずです。
黙って我慢しているからさらに傷口を大きくしているということはあるのでしょう。
日常の診察でも、いくつか心あたりはでてきます。
海外出身の患者さんは、かなり明確に自己主張されます。病状はもちろんのこと、あらかじめ希望の検査、薬、予算などを明確に指定される方もおられます。
一方、日本人は控え目で、そのようにいわれる方はあまりおられません。
初診の患者さんでは、必要だと考える検査をおすすめして一度は納得いただいても、後々に無駄な検査をされた、儲け主義と憤りの口コミも後で目にします。
もちろん、こちらの言葉足らずもあるのかもしれません。検査をしないで薬だけほしい、安心だけさせてほしかったという方もおられるのかもしれません。
そうであれば、不満をもったまま黙っているのではなく、その時に言葉で伝えられたほうがお互いのためです。
空気をよんで察してほしいといわれても、限界があります。お互いの言葉で歩み寄ることは大切だと思います。
言葉で伝える大切さは、家庭や仕事など、さまざまな人間関係にも当てはまりそうです。
これからの価値観の多様な時代、きっちりと言葉で自己主張をすることは大切キーワードなのだと感じています。