院長コラム
Column

平成から令和へ

2019年04月04日

平成の時代がおわり令和の時代の始まりです。

若い時代は、元号のことはもとより皇室や天皇陛下についてはあまり深く考えたことがなかったのですが、歳をとればとるほどそのありがたさを感じてきます。

陛下が無条件に国のためを思いお祈りされ、困ったかたに寄り添われている姿をみると見守られているのだという無条件の穏やかな安堵感もでてきます。

日本は精神的には無宗教ですし、価値観の多様な不透明な時代だからこそ昔からの伝統は心の支えとしてより大切になってくるのだと思います。

平成は漢字の通りでしたら「たいらになる」ということですので、おしなべての平等、平和、平穏を求めるというメッセージがあったのでしょうか。

昭和の時代が、戦後の復興で経済的な裕福さを追い求めたのに対し、平成の時代は心の豊かさを追い求めた時代だったのかもしれません。

平成を振り返ると、身の回りではコンピューターの進化がすぐに思い浮かびます。

平成の初めにPCとして個人にも広がり、どんどん進化していきました。

個人的には30年近く前に発表やデータ整理のために使用しはじめました。

初めて買ったのはマッキントッシュのPCでした。容量は100MBで2MBのフロッピーディスクでデータのやり取りを行っていました。データの容量や伝達速度は現在の1/1000以下ですね。

今ではPCよりスマホが中心ですが、これからもすごい速さで変化しつづけていくのでしょう。

「令和」というのは、「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」という万葉集の一節から取られた言葉です。

厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込められているそうです。

寒さの後に閉塞感を打ち破り花咲かすというイメージは個人的には気に入っています。

コンピューターの変化とは裏腹にこと日本国では平成の時代は失われた30年と言われるように社会システムや企業活動においてはうまく変化できない時代でした。

新しい令和時代には、人口知能(AI)が社会や経済活動を変化させていくのかもしれませんね。

桜の花も新しい時代を祝福するように咲き始めました。

新しい初春の令月に多くの人の夢が花咲き、心和やかになることを改めて祈りたい想いです。

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