院長コラム
Column
それでもやっていない
2020年10月12日
乳癌手術後のセクハラ訴訟の控訴審では、無罪から転じて有罪判決となりました。
以前にもこの裁判についてはコラムに記載しました(2019年2月28日分)。医療裁判に関しては個人的な経験からもどうしても敏感になってしまいます。
かなり大々的にこの裁判を取り上げていたマスコミが、この有罪判決に関しては口をそろえたように全く報道しないことは少々不気味です。
裁判の経過やその解釈の詳細に関しては、医師専門の情報サイトなどで知ることができます。
手術後起こったとされるセクハラ行為が単なる麻酔薬による幻覚か?本当に起こった事実なのか?が最も大きな争点です。
裁判は世間一般の価値に基づいて判決がだされるとされます。
医療側としてはせん妄は本当によく起こることだと主張し、非医療関係者のかたはそんなことは信じられないといいます。
あらためて医療関係者とそれ以外の方々とのGAPの大きさを感じてしまいます。
患者さんの乳首に付着した唾液に医師のDNAが検出されたことが本当におきたものだという根拠です。
しかし、その証拠はなぜかすぐに検察により廃棄されてしまいました。今後あらたな物証や真実がでてくるということはなさそうです。
しかし裁判の経過の中で主張を繰り返すことにより、お互いの心の中ではそれぞれの主張が真実なのだとの確信へとなっていくのでしょう。
そして、それぞれの言い分をいかに解釈することにより、判決がでるのでしょうか。
様々な意見にもあるにもかかわらず、せん妄ではないという意見のみを取り上げた今回の判決は、担当した裁判官の思想や信念が全面に表れているような気もします。
DNA検査の結果は信頼性が高いと言われる一方、唾液や毛髪などの検体はすぐにでも手に入れることができるので冤罪がおこりうるリスクがあるのではと想像してしまいます。
被告の医師は異常な性癖者であると思われる人も多いのかもしれません。
しかし被告の人となりをよく知る元同僚の医師から、被告人はとても家族思いの誠実な人柄であり、無実であることをどうか信じてほしいという切実な思いを書いたメッセージをSNSのリンクから知りました。
父親のセクハラ容疑に関しては、不安、不信、多くの中傷や非難がその家族にもあったのでしょう。
被告の医師の長男さんが自殺をしてしまったのだという記事も医療サイトで知りました。本当に心が痛みます。
普通の医師は恐れるにたらない判決なのだという弁護士さんの解説も目にしました。しかし、多くの医師はこの裁判の結果が今後判例として認められるようなことがあればいままでどおりの診療は続けてはいけないのではと危惧します。
私自身この判決を受けて、目の前で診察している患者さんが、気を害したからといって突然セクハラを主張されたらどうしたらいいのかという恐怖感もでてきます。
日本医師会、日本医学会、その他の関連する医学学会がその今回の判決を不服とする声明をだしました。
この裁判は最高裁判所への上告となりまだ継続予定です。
「それでも僕はやっていない」というセクハラ問題を解決することの難しさを描いた映画のごとく、セクハラ問題を解決する難しさが伺いしれます。
これからも原告はひどい目にあったといい、被告は絶対にやっていないと主張します。
もちろん真実はわかりません。
それでも万一まちがいということがあり、それにより誤って罰せられて苦しみ続けることはあってはならないのだと感じます。
このことは医療問題だけに関わらず、社会全体の問題なのでしょう。