院長コラム
Column
褒める
2020年10月27日
褒められるというのは気持ちのいいものです。しかしずっと褒められていても居心地のわるいような気もしますし、えらそうに上から目線で褒められても少しいやな気もします。
それぞれの時代においても価値観の変化に伴い褒め方も違ってくるのでしょう。
子供の教育でも褒めて育てるというのはよく聞きます。豚もおだてりゃ木に登るという手法ですね。
おそらく親の喜ぶ顔をみたいために頑張っているという子供もいるのだと思います。
しかしいつも褒めてばかりではよくないのかもしれません。一旦関係がこじれると何をいってもいやみにもなるのでしょう。
褒めるという行為には上下関係もでてきます。もとより対等ではない、未熟な扱いをしているということにもつながりそうです。
子供が親との上下関係をずっとひきずり続けるといつまでたっても自立できないということもあるのでしょう。わざと困らせるという甘えの反応にもつながりそうでするような気もします。
おそらくできるだけ子供を対等と認めて対応していくことも大切なのだと思います。
例えば、普段落ち着きがなくじっとできない子供が診察の待ち時間に大人しくしてくれた時、
「大人しくしてお利口さんですね。」といってしまうのは上から目線の子供扱で「大人しくしてくれて助かった。」というのが対等な目線での反応なのでしょう。
対等な人間として扱われることにより、人は周りの人の立場や気持ちを理解して自立・成長していくということもあるような気もしてきます。
振り返ると私自身は子供時代にはかなり怒られて(殴られて!?)育てられたのだと思います。あまり褒められたという記憶はありません。怒って育てるという時代だったのでしょう。
亡き父には、「自分の言葉に責任をとれ」、「言い訳をするな」など、いわゆる大人の目線でよく怒られました。当時はあまり納得できませんでしたが、ある意味同じ目線だったのでしょうか。
こと親と子供の関係はわかりやすいですが、こと大人どうしの場合、褒められることに対しての反応は様々です。大人のプライドもでてきます。
介護の現場では、ご年配の方に対して子供をあやすような言葉づかいが多そうです。友達のようで心やすい、安心できるなどの意見もある一方、子供扱いはやめてほしい、敬意をはらってほしいという意見もあるようです。
医療の診察も昔からパターナリムズといわれる診察をしてきた経緯があります。いわゆる親が子供を諭すように診察するとスタイルです。年配の先生ほど少し上から目線からの指導傾向がありそうです。
しかし時代もかわり、今では上から目線の診察スタイルははやりません。
こと日常の診察を振り返っても上から目線で接してしまうということはありがちです。
患者さんがいうことを聞いてくれないから機嫌が悪くなる、ちゃんということを聞いてくれるから褒めてしまうのは上から目線の反応なのかもしれませんね。
そしてその態度から気を害してしまう方もおられそうです。
今の時代、たくさんの医学的知識を持たれている患者さんおられますのでどうすればいいのかを一緒に考えていくというプロセスも大切なのでしょう。
患者さんの価値観が多様なように、その目線も様々です。
個々の目線にたって対等な立場で褒めることが、患者さんの責任ある自立した反応につながっていくような気もします。
そしてその褒める言葉の裏には相手への敬意も必要なのでしょう。
うまくいったときには「がんばりましたね」と同じ目線で褒めたたえ、一緒に喜びあう関係でありたいものです。