院長コラム
Column
ハラスメント
2022年02月18日
パワハラ、セクハラ、モラハラなど、今の世の中にはハラスメントにあふれています。
若い人たちが多く使用するキーワードの一つなのかもしれません。
ハラスメントとは、立場の優位性を背景に適正な範囲を超えて、精神的・身体的苦痛を与えたり、職場環境を悪化される行為です。
パワハラ防止法も今年の4月から中小企業にも適応されるようです。
私の若い時代、若い人は年長者を敬い、ある程度はいうことは文句をいわずに従うべきだという雰囲気がありました。昔ながらの儒教の影響もあったのでしょう。
それが文化の欧米化や人権意識の高まりのため、今はそれではダメということに急になってきたということなのでしょうか。
ハラスメントをうけた人へはその気持ちも理解できますし、心より同情します。しかしよくよく考えてみると、ハラスメントをした裏にはいろいろな事情があるような気がします。
立場によってもその解釈の違いはでてきそうです。
上司や指導者は、部下を成長させるためにあえて厳しい言葉を使ってしまうこともありそうです。
私自身、立派なおやじのせいか、相手のためを思って敢えて厳しい言葉を使ってしまうのだといいたくなる時も確かにあります。
いざ日常の診療を振り返ってみても、ハラスメントはいつ起きてもおかしくないのでしょう。
いわゆるドクハラ(ドクターハラスメント)です。昔ながらの厳しい指導は今の時代はドクハラになりそうです。
昔ながらの診察室で、「あんた何歳まで生きるつもり?」はひと昔前では診察室の笑い話だったのが今では完全なドクハラです。
できるだけドクハラしないようにと気をつけているつもりですが、「急いで手術をしないと治らないよ」「死んでしまったらQOLもなにもないでしょう」「食べなきゃ死んでしまうよ」などの典型的なドクハラ認定の言葉も気をつけていないと場合によっては悪気はなくとも口からでてしまいそうです。
それぞれの状況や関係性でも変化するのでしょうし、ハラスメントを明確に同定するのはしばしば困難ですが、相手が傷つき、ハラスメントだと感じればそうなのでしょう。
一方、場合によっては逆ハラ(逆ハラスメント)もおきてしまいそうです。
「敢えて厳しい指導で、悔しい気持ちにさせることが、その人を一番成長させる」というのは私の研修医時代の上司の教えで、今でも私の心の中に残っている言葉です。
しかし、それが今ではハラスメント認定行為です。
逆に今では、若い医師が上司にひどい目にあったということで上司の先生を訴え、指導医師がハラスメント認定される場合が多いようです。
私もよく知っている教育熱心な熱血先生の何人かが、部下からのパラハラの訴えをうけて病院を移動せざるをえなくなってしまいました。
年明けの新聞には、今ではドリハラ(ドリーム・ハラスメント)が問題なのだということが特集されていました。
若い人に将来の夢を聞くことはハラスメントなのだそうです。若い人からいうと、こんな夢のない社会にしたのはだれのせいということなのでしょう。
もちろん夢が必ずしも思い通りになるわけではありません。
それでも夢を思い描き、そして夢敗れて傷つき立ち上がる過程の繰り返しの中で、人は成長しながら本当の目的に近づいていくのだと思ってしまいます。
もちろん不必要に傷つけないようにする配慮は必要ですが、それをお互いに恐れすぎると、コミュニケーションもなくなっていくような気もします。
そして気がつけば、日本の将来への夢もなくしてしまうのではいうこともおやじとしては危惧してしまいます。