院長コラム
Column
医療現場でのこの世、あの世の不思議なこと
2017年11月20日
最前線の臨床現場で循環器治療を担当していた時には、残念にも患者さんが治療に反応せず命を落とすことも多々ありました。ご高齢の方では、これが寿命ということでお見送りをすることもあります。この世にできるだけ命がとどまってもらうようにと最善をつくすのが現場の最前線の治療です。
肉体の命とは別に魂というものがあり、あの世の世界があるかどうかはわかりません。しかし、長年病院の臨床現場で働いていると確かになにか不思議だなと感じることはありました。
人は死に直面(臨死)するときに三途の川を渡るとかお花畑が見えるという話は昔からよく聞きます。おそらく日本独自の世界観にもとづいたもので、各国いろいろな表現があるのでしょう。
生還された方の話ではお花畑が見えてきてすごく気持ちがよかったということは何度か聞きました。死に直面するとかなり気持ちがよくなるようです。臨死から生還した人の4割程度の方は、死の淵ではいろいろな景色をみるという話もあります。
上司の先生の話では、心臓停止をして心臓マッサージをしながら搬送されてきた患者さんで、心臓停止した時は天国にいったように気持ちがいいのに、心肺蘇生をして意識が戻ると現実に引き戻され不快な気がするということで、心臓マッサージをしてもらっている人を殴ってやめさせては気を失い、また気を失ってはマッサージを再開するということを繰り返したというエピソードがあったと聞きました。
臨死の時の現象に関しては、いろいろな説があります。科学的な考察としては、脳の血液が低下した時には脳内の麻薬物質であるエンドルフィンが多量に分泌されるために、とても気持ちがよくなるという説があります。また呼吸の停止により低酸素や高二酸化炭素の状態になると脳内の神経活動が一時的に活発になり、過去の思い出や幻覚が見えてくるという仮説もあります。
しかし、いずれの説もすべてを科学的に説明できないことから、もしかしたらあの世の世界や精神的な霊魂の世界もあるのかもしません。
自分自身の体験では、昔脊椎麻酔で意識がある状態で手術を受けたことがありました。治療中急に血圧が低下したようでした。薄れゆく意識の中で、看護師さんに大丈夫ですかと顔をたたかれる中、体が温かくなり、暗闇の意識の中から光がおりてきました。なんとかこの世に帰ることができましたが、確かに少し気持ちはよかったです。
また、死への淵では幽体離脱をするという話もあります。日本では死後しばらくの間は離脱した魂が肉体のある枕元や身の回りにとどまるという言い伝えもあります。
昔、治療に反応せず心臓停止後しばらくして私の口から死亡宣告をした患者さんおられました。死亡宣告を行った時に家族の方が泣きながら患者さんの手を握りしめた直後、少し冷たくなった体がそれに反応するように患者さんの目から涙がこぼれおち、体が動きだしたというエピソードがありました。そして、その後にすぐに魂が離脱するかのごとく、体が動かなくなりました。
私にとってもかなりの衝撃でこちらの心臓もとまりそうでした。このようなことはよくあるのですか?と家族に質問されましたが、言葉がでてこず頷くだけで精一杯でした。その時は確かに魂というものが急に体の中に戻ってきたような気が本当にしました。もしかしたら幽体離脱した魂が体の近くに残っていたからかもしれません。
臨死とは少し意味が違いますが、あの世のことにも関係するかもしれませんので、幻覚や心霊現象?についても書いておきます。
集中治療室でも患者さんは生死の間をさまようからか、多くの幻覚を訴えられます。ICU/CCU症候群という病名もあるくらいです。治療している人がよほど悪い人に見えるのか、殴られたこともありました。
幻覚としては、いつも部屋の隅やカーテンの間から人が見つめているとかいうのはたまに訴えられますし、だれもいないのに先生の後ろにいる人はだれですか?と尋ねられたこともありました。
病棟では、数日前に亡くなられた患者さんが夜になってでてきて困っているという相談がいました。冗談だろうと思い他の方にも聞いてみたところ同じ部屋の全員がそう感じているといわれていましたので、本当なのかもしれません。それからしばらくして全くでなくなりました。
勤務病院の心霊スポットについていろいろ説明してくれる自称霊感の強いと言われる先生からの話もありました。小さな子供が2人で手をつないで遊びにくるので困るという当直室がありました。病院でなくなった子供らしいということでした。
その時は気味が悪かったですが、その後ずっとその当直室でとまり続けていましたが、私には霊感はほとんどないようでまったく何も感じなかったですが、霊感が強い人にはよってくるのかもしれません。
古今東西、世界中の多くの人が宗教を信仰しているのは肉体とは別に魂の世界を信じ、あの世でも報われたい、幸せになりたいと願っているからなのでしょう。真意はさておき、あの世を信じてこの世を精一杯生きることは大切なのだと感じます。