院長コラム
Column
土佐稲荷神社
2018年03月29日
大阪みなみの北堀江地区の少しはずれには土佐稲荷神社。夜散歩した時に夜桜がきれいで、ここ10年位は花見といえばこの神社です。昨日もクリニックの帰りにこの神社に立ち寄り、夜桜を楽しみました。今しばらくが桜鑑賞ではよい時期です。
大阪市内で花見といえば大阪城や造幣局が有名ですが、人が多すぎて大変です。この神社は人も多くなく、ゆっくり落ち着いた気持ちになるので気にいっています。
タクシーの運転手さんに土佐稲荷神社の近くといってもわかってくれませんし、おそらく大阪市内の人でも神社の存在をしらないのがほとんどだと思います。
神社には、多くの灯篭や鳥居がならび、狛犬や狐などのいろいろな動物の石碑もあり、京都の伏見稲荷を少し感じさせる独特で少し不思議な雰囲気です。
この神社のことを調べてみますと、幕末から明治維新にかけての時代の変遷が見えてくる場所です。
昔土佐藩の蔵屋敷がこの場所にあり、土佐藩出身の三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎が買取り会社を立ち上げたゆかりの地です。
最初は、このあたりを流れる3つの川から三川商会という名前を取り、その後に三菱商会の名前に改編されたそうです。
その後東京に居を移す際、ほとんどの土地を大阪市に寄贈されましたが、弥太郎の思い入れが強いこの神社だけは引き続き三菱グループが今も管理しているそうです。
確かに神社の周りには一度は聞いたことがある一流企業の名前のついた沢山の玉垣がならんでいます。三菱財閥と言えば、東京というイメージですが、始まりは大阪だったんですね。
土佐藩出身の坂本龍馬も大阪ではこの地に降り立ちました。
司馬遼太郎さんの「龍馬がゆく」は私が中学生の時に初めて読んだ思い出深い長編小説です。多くの有名人がこの小説の影響を強く受けています。
遼太郎さんはこの神社の宮司さんに岩崎弥太郎の伝記を見せていただいた後に「龍馬がいく」の執筆を開始し、今も存在する神社に隣接するアパートに住み、この神社をながめながら執筆していたそうです。
執筆にあたり、高知への取材からの大阪への帰路に自らの姿を昔の龍馬に重ね合わせたという語録も残っています。
多くの人の思いが詰まった場所のためか、人が少ない時には少しスピリチュアルなものを感じる時もあります。大阪船場の街が栄え、元気な良き時代を思い出させてくれる観光客知らないお気に入りの神社です。時間に余裕があれば帰りにでも少しだけ足を延ばしてみてもいいかもしれません。