院長コラム
Column

クリニックだからできること

2018年06月26日

病気になった時、何を期待されて病院ではなくクリニックに来られるのでしょうか? 少し考えてみました。

一般的には家から近くで便利がいいということが最も大きな理由だと思います。最近ではかかりつけ医として近くのクリニックにかかるようにという国からの指導もあります。

近隣のきまったクリニックにしか受診できないようにしようという動きもありますが、必ずしも患者さんのニーズとは一致していないのかもしれません。

小さなクリニックでは夜間の緊急対応も難しいですし、高額な診断機材もありませんので、内心では多くの人は大きな病院にかかりたいと思われている人も多いのかもしれません。そのため大病院の外来では多くの患者さんで溢れかえっています。

大きな病院では長い時間待たされることもあり、それがいやだということで落ち着いているときにはクリニックの方がいいという場合もありそうです。

できるだけ待たせないような能率的な診察や検査をすすめる配慮も必要でしょう。

一方、話をしっかり聞いてほしいという方もおられるでしょう。時間は無限ではないですが、病院の先生より開業医の方が時間的には少し余裕はありそうです。

病院勤務の先生は時間に追われているため、外来では「その他に問題がありませんか?」ということを患者さんにいうことができないと昔からよく聞きます。

そして適切な病診連携をすることが大切です。昔から循環器の患者さんは主治医ではなく、病院につくのだとよくいいます。急変した時に緊急対応してくれる病院にかかっていないと困ると思われるからです。

幸い当院のある中央区には救急対応いただける多くの基幹病院が多くあり、とても助かっています。

それ以外にもいろいろなニーズがあるのだとおもいます。ニーズが期待どおり満たされないと不満につながります。誰でも来院していやな思いをしたくないものです。

来院された方にできるだけ失礼のないようにと、適宜自らを含めスタッフともども気をつけているつもりです。

しかし残念ながらネット上では最低ランクの評価もあることに気づきました。知らずのうちに気分を害してしまったのかもしれません。これを期にさらなる改善に取り組む必要もありそうです。

話は少しかわりますが、先日私も世話人の一人となっている不整脈の研究会がありました。

以前の不整脈学会の会長で有名大学の教授を歴任された尊敬する大先生のご講演をいただきました。今までにも何度か講演をいただき、その都度励ましの言葉をいただいています。

70歳半ばになられてもピンと背筋を伸ばし、いつもながらの若々しさです。現在でも米国の一流雑誌の査読やご自身での論文執筆活動など学術的にも第一線で活躍されつづけておられます。

若い人にも分け隔てなくいつも丁寧で、腰が折れ曲がるような丁寧なあいさつをされているのをみると 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の諺をいつも思い出します。

今回も微小な心電図の変化と心臓突然死についての講演してくださいました。この数年でもご本人自身が解析された論文が海外の一流雑誌に複数掲載されたとのことです。わずかな心電図の変化をきっちりと解析するのは日本人の得意とする分野です。

現在、より患者さんと近い立場で健診、診察を続けられ、数千例の患者さんのデータをすべて一人でチェックされたとのことでした。

暇だからできることですよと優しく笑っておられましたが、まさに医師としてのあるべき生き様をみているようです。

講演後の懇親会で当クリニックの話もさせていただきました。

大学病院や大きな基幹病院では、従事される人もどんどん変わっていきます。開業医だけが一人の患者さんの経過を長期的に見守り続けることができ、それをとてもうらやましく思いますという言葉でした。

そしてその長い経過から新しい大切な知見がいろいろ出てくるのですよというコメントもありました。

クリニックだからこそ近い場所で一緒に歳を重ねる中で、人生においても大切なことを共有することもできるのかもしれません。

至らない点はまだまだあるのだと思います。

それでも長い経過の中で、あのクリニックに言えば何でもわかってくれるので大丈夫だと思っていただけるように努力し続けることが、最も患者さんが期待されていることのような気もします。

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