院長コラム
Column
話はわかりやすく
2018年08月18日
昔から口下手で人前でうまく話すことができないのは、今でも私のコンプレックスの一つです。よく口ごもりますし、活舌もよくないし、同じこともよく繰り返します。時折は人前で講演する機会もありますが、終わった時にはいつも自分の理想とのGAPの大きさを感じています。
昔、仕事でも口下手を理由にこれからは裏方にまわるようにといわれたこともあり、つらく感じた時もありました。アナウンサーのように流暢に話をされる人をみるとうらやましく思います。まさに無いものねだりですね。
しかし、たとえ口下手でも話をしたことをしっかりと相手に理解してもらうことは大切です。そしてちゃんと伝えた気になっていても相手がきっちり理解していない時もありそうです。
できるだけ理解しやすいようにわかりやすく話しをしたいものです。
もちろんこのことはクリニックでの診察や治療の説明のときにも当てはまります。
いざ話をはじめてみますと、患者さんが求められる程度はさまざまです。しっかり病気のことを調べられ、かなり専門的なことまできっちりと説明されることを期待されている方がいます。
その一方、難しいことはわからないから先生のいったとおりでいいと言われる方もいます。
相手の方の知識のレベルや期待されていることをあらかじめきっちりと把握しておくということは、うまく理解いただくためにはとても大切なことだと実感します。
時折、医学の講演会に参加しますが、自分の専門に近いところでは少々話が脱線してもすぐに理解できますが、専門外ではかなりわかりやすく話をしていただかないと理解できないことも多くなります。
つい専門的なことばかりを考えていると周りが見えなくなってしまうことがあるので、注意が必要だと改めて感じます。
また話の結論を最初にいっておくことも話の概要をイメージしやすいのでしょう。
もちろん私自身も話す内容に十分な知識をもっておくということも大切です。知識が十分でなかった研修医の時は、煙にまくような話をしてごまかしているときもありました。
少々難解なことでも相手がうまく理解してもらうためには、その背景の知識も大切なことだと感じます。
私の専門とする不整脈の分野は循環器を専門にする先生でも少し理解しにくいと言われることがよくあります。
不整脈の領域は循環器疾患の中でも少し特殊な知識が必要なこと、不整脈は目に見えないので少しイメージしにくいことなどが理由かもしれません。
確かに、この血管の細いところを広げましたとか、この部分の心臓の動きが悪くなっていますといって画像のデータを見せるほうが、イメージはしやすそうです。
それでも工夫してわかりやすい話をしたいものです。
若い時代に重症の心不全と不整脈で入院してきた年配の担当患者さんとのエピソードを今でも時折思い出します。
病状やこれからの治療について熱弁し、話の後には自分なりにうまく話せていると勝手に自己満足していました。
その患者さんはとてもしんどい状態にもかかわらず静かに耳を傾けてくれました。
しかし、「残念ながら、先生のいうことは難しい言葉が多く、うまく理解できませんでした」という患者さんからの答えでした。
「でも、先生が熱心に治療しようとしてくれるということだけはわかりましたし、すべて先生におまかせします」ということでした。
そして最後に「次は私でもわかるようにもう少しやさしい話をしてくださいね。そして他の患者さんにも」という言葉でした。
その患者さんの治療は難渋し、もう一度ちゃんと話をする時間は残されていませんでした。そしてしばらくして入院中に旅立たれました。
口下手の私が急に流暢にしゃべれることはありません。わかりやすく話すことは本当に難しいことだと今でも試行錯誤です。
それでも話はできるだけわかりやすく、そして以前よりは少しはましに。このメッセージはこれからも私の中に残りつづけていくのでしょう。