院長コラム
Column
人生終末での対応
2018年08月27日
以前病院勤務の時、心臓病の患者さんが心停止をした場合、家族の方が到着するまで必ず心臓マッサージを続けることが当たり前でした。家族の方が死に目に会うということが大切だからです。
もちろん点滴による治療もしますし、呼吸が止まれば人工の呼吸管理も行います。
救急で運ばれた方の場合もありますし、入院中の患者さんの場合もあります。
到着まで1時くらい心臓マッサージをすることも時折ありました。
先輩医師の話では、家族が東京にいたため、それまでは必ず蘇生をどうしてもつづけてほしいとの希望で、8時間も心臓マッサージをつづけたこともあったそうです。
心臓マッサージを長時間するということは肉体的には想像以上に過酷です。そのため多くのスタッフがいる日中では、若い元気なスタッフの仕事です。
私自身、長時間の心臓マッサージの後に腰のヘルニアによりしばらく足がしびれて動けなくなったこともありました。
もちろん心臓発作を起こしたばかりの場合や若年の方は助かる方もおられます。しかし残念ながらご高齢の方や病気の終末期の方では多くの場合ほとんどお見送りの儀式です。
助からないことがわかりながら、蘇生をつづけることも多いのです。
長時間心臓マッサージを続けると、ご高齢の患者さんでは圧迫による肋骨の多発骨折をおこしますし、出血傾向がある場合には体中にあざもできてきます。
残された親族も故人を思いしのぶ際、死に際の姿を思い浮かべることが多いそうです。到着されたご家族の方もその姿をみてかわいそうと思われるかもしれません。
長時間の蘇生作業により気のせいか苦悶の顔をされているような気もして、人生の終わりを安らかにできるだけ自然な形にしてあげたいとよく感じたものでした。
たとえ大きな病気にならなかったとしても人は歳を重ねることにより、だれでも命の終わりを迎えます。どのような形で死を迎えるのかということは人生の集大成でもあり、とても大切なことだと思います。
一般的には、人は最期には食事がとれなくなり、徐々に体が弱ってきます。周りの者が無理に食事を食べさせようとすると誤嚥してしまい、誤嚥性の肺炎(食べ物が肺に入って、細菌が増殖するのです)を起こしてしまいます。
高齢社会を迎え、肺炎による死亡率がどんどん高くなっていますが、その多くは誤嚥性肺炎です。
世話をする人からみると食事を食べられなくなった時にそのままほっておくわけにはいかないので、胃の中に食物をいれるためにチューブを使って送り込みます。しかし寝た状態で無理に胃の中に栄養をいれると逆流するため誤嚥性肺炎を繰り返し起こすこともあります。
そのままほっておくわけにはいかないので胃の前を手術により外に解放し、胃婁をつくりその中に直接食べものいれることもあります。
その時には本人さんの意識もはっきりしないことも多いので、家族の方と相談して対応を決めることになります。
医者がすすめるからチューブだらけになるのだという斜めから見た評論もありますが、多くの場合は家族の方がどうしようもない、後悔したくないという理由が多そうです。
親族の中で一人でもできる限りの治療をしてほしいと望まれる方がいるとその意見にしたがうことになる場合も多いのだとか。
それでは、手厚い医療・福祉のために税率も日本より高いことで有名な北欧の国々ではどうなのでしょうか?
さぞかし手厚い終末期の医療を行っているのだと想像するかもしれませんが、現実はそうではないようです。
寝たきりで誤嚥性肺炎を繰り返す方はほとんどいないそうです。
自分の手で食事をとることができなくなった時点で、それ以降はずっと見守るだけです。それが自然で必要以上の治療は不要と多くの国民が同意しているのです。
それまでにはいろいろな議論があったのでしょう。そして死に方は本人が決めることであり、周りの親族が口出しすることではないことです。
それぞれの国で死にざまはいかにあるべきかという価値観はさまざまで、終末医療に対してもさまざまな意見があるのでしょう。
弱っていく人をずっと見守るだけでいることはかなり勇気のいることです。日本の文化では、死に向かう人をそのままにして見守るのは、ともすると非人道的ということなのかもしれません。
私自身は、人生の終末は本人自身が決めるということでいいような気がしますが、人生の終末はどうありたいかについてはあらかじめ前もって家族ともちゃんとした形で話あっておく大切なことなのだと思います。